1998年11月7日
フェリーに無造作に載せられたRF
先日四国時代のツーリング古いツーリングマップを開いた。その時、フェリーの時刻表などが落ちてきた。「あ、これは確か・・・」
時は1998年、四国にも秋が訪れてきた11月初旬、RFオーナーズクラブの中国支部会が尾道にて開催される旨が発表された。管理人は当時、同クラブ四国支部員であったわけだが、なぜか尾道に行ってみたくなった。会合に出席できる時間は過ぎているが、ひとつ出かけようということで、GT73EことRF国内仕様に火をいれる。ドゥヒュ〜ンとクランクの1次減速ギアの音が響き、エンジン始動。こうして徳島発、広島尾道経由徳島行きの旅が始まった。
鳴門を出発し、徳島自動車道の藍住I.C.を目指す。途中にはドイツ館、四国88ヶ所巡り、通称お遍路さんの1番札所霊山寺(リョウザンジ)ががある。西へツーリングをする場合は、必ずと言ってもよい程これらの前を通るので、たいして珍しくもないのだが、前者は第一次大戦中のドイツ人捕虜収容施設の跡であり、毎年年末にはヴェートーベンの交響曲第9番、通称第九が歌われるということで有名だ。後者は言わずと知れた(あまり知られていないか)お遍路さんが最初に訪れる寺だ。後者は全国から観光バスがやってきて、いつも結構混んでいる。この辺りにしては珍しい現象だ。道路沿いには土産物屋が並び、観光客が闊歩しており、半無法地帯と言えよう。走行には十分注意する。また、観光客はお年寄りが多いことも付け加えておこう。
さて、徳島自動車道に藍住I.C.から乗り、heading270。RFは高速道路の走行がメチャクチャ快適で、ぬわなkmでも鼻歌交じりで巡航できてしまう。これには大きなカウルによる絶大な防風効果が関与している。また、雨降りでも背中以外はあまり濡れないということも加えておく。エンジンも制限速度の80km/hで3000r.p.m.とギア比も高い。5000r.p.m.付近はややトルクの落ち込みがあり、変な振動が出るので、ちょっと使いにくい。それ以外はスパーッと吹け、4気筒DOHCらしいといえる。排気音は小さいが、低周波の音で空冷ぽかったと思う。スズキのバイクは概ねこういう傾向があるように思うが、いかがなものであろうか。
さて、本題に戻ろう。土柱でお馴染み(あまり馴染みがない?)の土成町、舐めダルマ、もとい攻めダルマこと蔦文也監督の池田高校がある、池田町まで、一気に走る。この区間は片側1車線の部分が多いわけだが直線だし、通行量も少ないので、結構良いスピードで走りぬけることができる。
一旦高速を降りる。というか、当時はここで終点だった。仕方なく、松山道の三島川之江まで国道192号と11号を継いていく。ここは山間部で、屈曲路が多く、遅い車が走っているのでRFには非常に辛い。もっともペースが良いならばさして問題にはならないんだけど・・・。
三島川之江からはまた特急に変身。時々ぬわなkm/h程出して先を急ぐが、四国の高速は基本的に片側1車線なので、無理は禁物だ。新居浜、西条と抜け、いよ小松I.C.で降りる。ここからは国道196号で今治市の今治港フェリー乗り場へ向う。今治市内は普通の四国の街で、特記事項はないが、田んぼがやたら多い箇所があるのには驚いた。丁度第1回北海道の時に通過した、山形辺りに少し似ているだろうか。
別の日だが、開通前の来島第三大橋と思われる未完成の橋の前で
本州と四国の間には、現在3本の橋が架かっている。西から尾道・今治ルートのしまなみ街道、岡山・高松ルート、瀬戸大橋、そして神戸・鳴門ルートの明石海峡・鳴門海峡大橋だ。単独の橋として一番長いものは明石海峡大橋、一番新しいのはしまなみ街道、先陣をきったのは瀬戸大橋というわけなんだけど、高校時代に「アサヒグラフ」だったと思うが、写真雑誌が図書館のロビーに入っていた。何月号かに瀬戸大橋が掲載されており、それを見て次のページには、うら若き女性の芸術的ヌード写真が・・・。友人と見ていたので、しばらくは暗号「瀬戸大橋」というと「エロ写真」という意味であった。
さて、今治発、尾道行きのフェリーに乗船する。バイクをフェリーに積む場合は必ず固定されるものと思っていたが、輪止めとマフラーの下に木片を入れるのみ。大丈夫だろうかと心配したが、瀬戸内海は波が非常に穏やかであるので全く問題は無かった。このフェリーは途中に8個の島に寄港することになっている。
芸予観光フェリーの甲板にて。おじさんたちカメラ目線? たいして固定されていないのに出発してしまった
航路図
暇なので、時刻表をみていると老紳士が現れた。挨拶を交わし、話をしていると、どうやら船長さんのようだ。その出で立ちは確かに。帽子にブレザー、丁度飛行機の機長と同様である。現在は一線を退いているが、パートタイムで嘱託船長をしているらしい。仕事が終わったので、弓削島の自宅に帰られる途中ということだった。管理人は当時、職業に就いてはいたが、その内容には全く関心が無く、このままではいかんなぁと何か悶々としていた(る)。話題はなぜ船乗りになったかということに向いていくわけだが、弓削島では漁師になるか、造船所で働くか、船乗りになるか、おおかたこの3つしか選択肢がないそうだ。漁師は柄ではないし、造船所へは近所の人達が弁当を持って出勤していたので、それがカッコ悪く見えたそうなので、船乗りになったらしい。造船マンも力持ちで格好いいと思うが。
フェリーから造船所を望む。製造中の車の輸送船だそうだ。 こちらは世界最大の斜張橋、多々良大橋
しかも、その部分を深く聞いてみると、どうやら大型の貨物船の航海士、操縦士であったようだ。一番印象に残っている景色は、ゴールデンゲートブリッジを早朝に通過した日のことだったらしい。船乗りでよかったと深く感激したと熱く語って頂いた。2008年の今、この出会いを振り返ってみると、どうもこの頃から管理人は職人的な業務内容に強く憧れを抱くようになったと思う。長い年月自己研鑽に励み、技術を磨き上げていく。この手の仕事は辛い日々であろうが、ふと心の底から「よかった」と思える瞬間が隠されているように思われるからだ。
因島の風景
さて、弓削島で船長氏と別れ、管理人は因島で降りることとした。因島といえば、東ちづるとポルノグラフティで有名だ。島をゆっくりと走ってみる。車はおろか、人もほとんどいないという印象だ。ただみかん畑と野菜畑の中に道路が走っている・・・。管理人は人ごみが嫌いで、人が少ないと思われる場所へツーリングに行くことが多いが、これだけ少ないとまた不安になってしまうんですぅ。
尾道全景(写真はhttp://shikoku-net.co.jp/から引用)
因島から尾道へは因島大橋という橋があるので、これに乗る。よくよく考えてみると、小さな渡し舟なんかもあるので、そちらにするべきだったが、当時は尾道と言ってもあまりピンとこなかったわけだったんだなぁ。そうよ、尾道といえば映画のロケ地が有名だ。管理人は知世ちゃんが好きだが、富田靖子も今見るとなかなか不思議な感じが良いですなぁ。彼女はアイコ16歳という、地元の作家が原作の映画に出演しており、地元でロケが行われた。有名なバス停もしょっちゅう前を通るわけだが、その度に思い出してします。あと、ヨーグルトのCM「スッパ!ヌキマシタ」というコピーも記憶に残るものだ(世代がバレバレですなぁ)。
尾道駅前の風景。普通ですな。
そうこう考えていると尾道駅に到着。バイクから降りてよく見てみると、尾道は海、山が半々に同居している。小規模な神戸というところだろう。この時はその程度しか見ることができなかったし、映画についても良く知らなかった。今度は多少の予備知識を入れたので、ゆっくりと尾道を訪れてみたいものだ。
尾道着が日没直前という時間であったので、早々に帰宅の途に就く。尾道市内は休日とはいえ、やや夕方の混雑という様子だった。丁度良いやと前方に注意しつつも瞬間景色を見たりする。海と山の接近具合が妙だ。また、海の情景が独特の雰囲気を醸し出している。旅情を誘われる風景と言われるが、まさにそんな表現がぴったりだ。
そうこうしていると暗くなり、景色も見えなくなってきた。ここからは夜間走行なので、十分に注意を払っていく。国道2号線をいくと、笠岡市を通過。笠岡といえばやはり「カブトガニ」であろう。トリカブトではないぞ。さらに倉敷市から国道430号に乗り換え、玉野市の宇野港へ。
途中で燃料警告等が点灯。RFは概ね270km位で給油タイミングとなる。16L/km というところだろう。あまり良くない数値だが、理由がある。それは、国内仕様であるからだ。国内仕様車はとにかく濃い設定になっており、オーバーヒートを防ぐ努力をしているそうだ。
ガソリンを入れ代金を払う。2008年現在にこれを見てビックリした。なんとハイオク96円/L也。今やレギュラーでも140円/Lである。時代の変化の早いこと。
ガソリンの伝票とフェリーの料金表
さて、宇野と高松を結ぶフェリー、通称宇高連絡線と呼ばれている。宇野というと、ロッテに移籍してもなぜか中日の番組に出演してしまう、あの野球選手を思い出す。もっとも、一番有名なことは、「デコキャッチ」であろう。あれが珍プレーの元祖となったらしい。
本日二回目のフェリーに乗船。ここは瀬戸大橋が架かっているのだが、フェリーもまだまだというか、こちらが優勢と言ってもよいのではなかろうか。この理由は簡単だ。フェリーだと休憩しながらも旅程は進む。海の上をのんびりと、景色を眺めるということは案外少ないし、仕事でしょっちゅうフェリーに乗っていてもなにかホッと癒されるのではないだろうか。そんな独特の魅力を乗せて航行するフェリー、この忙しい世の中では好まれて当然と思うのだがいかに?
高松港からは、国道11号線を通って鳴門へ向う。この道は、昼は混むが、夜は空いていて逆に怖い。というのも、波の音だけして、真っ暗であるからだ。普段真っ暗になることなどまずないので、こういうときには不安になってしまう。そんなこんなで、鳴門の自宅に到着。おつかれさん。