管理人が現在のスポーツジムに入会してから5年の月日が流れた。正直な所、中学時代の部活動でいわゆる「しごき」を受けていた管理人は、「もう運動はやらん」と思い、高校卒業後は全く運動していなかった。
しかし、いろいろと考えていたが全く行動に移すことができなかった20歳代。嫁さんに逃げられて解放?されたものの、仕事に忙殺されて生きることそのものが面倒になっていた30歳代半ばのことである。バイク仲間のR1-Z氏から衝撃の事実を知らされる。「運動でストレスを発散できるよ」と。なに、運動と言えばイコール部活であった当方はにわかに信じられなかった。
話題が逸れるが、日本にはモータースポーツは絶対に理解されない、とされた時代があった。理由は簡単で、車やバイクは仕事や移動で楽をする道具である。一方、スポーツとは簡単に言えば運動であり、根性を据えて、どんな困難があろうともトレーニングを行い、記録なり勝利なりに向かっていくものだ。
つまり、「楽をする道具で辛いスポーツをする」ということが全く結びつかないのだろう。現在でも、そのように考えられているフシは多々見受けられることは言うまでもなかろう。これは大きな間違いで、マシンを操るには繊細な感覚、正確な操作を続ける集中力と体力が非常に高いレベルで要求される。当然、選手の方々は普段からトレーニングをしているわけで、根性据えて記録なり勝利なりにまい進しているわけだ。
と言うわけで、モータースポーツの誤った認識のように、当方の中では、運動=部活であったわけで、運動で楽になるという等式が成り立たなかった。ただ、このころは上記のように切羽詰っていたので、騙されたということにし、現在も所属するジムに入会することとなった。
ジムに入り、1〜2ヶ月は仕事帰りにちょっと運動用のマシンを使用して、走ったり、筋トレしたりと、まあ、本当に「ちょっと運動」ということをしていた。しかし、こんなの何も面白くない。こんなことは部活で死ぬほどやらされたことだ。と、大抵の場合はここで「退会」となるのだが、そこは凝り性の当方。スポーツジムには「エアロビクススタジオ」なるものが存在することを発見した。
もともと、上記部活のトレーニングでその真似事のようなことをしたことがある。これは後からわかったことだが、丁度この頃に、その発案者とされたアメリカ空軍の医師、ケネス・クーパー氏が来日し「なぜ今エアロビクスか」という講演をし、日本にもその存在が知られるようになった頃であった。たぶん、部活の顧問がそれを取り入れたものだったのだろう。それを思い出し、興味が湧いてきたので早速スタジオでのレッスンを受けることにした。
レッスンは最初に「初めての方ですね」とインストラクター、略して「イントラ」に声をかけられ、エアロビクス歴を尋ねられることが定番である。これは後に、自分がイントラを目指している中でその真意を知ることになる。
肝心な動きであるが、最初は俗に言う基本ステップすらうまく踏めなかったのだが、イントラの動きをつぶさに観察しては膝や足の向く角度、関節の屈曲・伸展、リズムのとり方などをしっかりとコピーするよう努めた。ここで早くもマニアぶりを発揮していたようだ。因みにこのマニアックな観察により、ちょっと音楽に乗ることができるようになるとやけに楽しく感じてくるから不思議なものだ。
こんな感じで、当方のエアロビクス人生が始まった。もちろん最初は週に2回程しか出ていなかったのだが、だんだんと日替わりに来られるイントラ全員のレッスンを受けたいと、週5日ジム通いという時もあった。
この時期は目新しさもあり、陰鬱な気分も比較的改善されていたのであるが、仕事上の厄介事は相変わらずであった。それ故に一昨年には再び体調を壊してしまい、入院したり、休職したりと不遇な生活を送っていた時期もあった。ただ、最低でもジムには行くという目標を持っていたし、「バイクに乗るには体力」という元々の目的で、エアロビクスが途切れることはなかった。
こうしてジム生活を続けること5年、「もっと上手くなるには、教える側のことも知りたいなぁ」と考えていたし、友人のオークラ氏からも「ジムを充実させて、生活に活気をもたらそう。そのためにはイントラになるのがよろしい」とよく理解できない話をされた。最初は冗談は顔だけにしてくれよと思っていたが、寝る前に真剣に考えてみると、「そうだよ、もう色々と苦しい思いをしたのだからこれからは好きに生きてやろう。この機会を逃したら次は無い」とイントラへの道を歩むことに決めてしまった。
さて、エアロビクスと本稿では呼んでいるが、当方が習っているのは、正確には「エアロビクス・ダンスエクササイズ」である。つまり、エアロビクスとは=有酸素運動のことであり、この反対語はアネロビクス=無酸素運動である。
つまり、踊り的有酸素運動と呼ばれるものを音楽との合わせ方、踊りの基本ステップ、その組み合わせ、繋ぎの足運びに加え、さらに筋肉の成り立ち、そのストレッチとトレーニング方法までを4ヶ月のコースで身に付けようというものだ。
このコースを一貫して担当する我等が師匠は、M大先生である。彼女は1990年代中盤からエアロビクスを始め、途中ボデービルダーに転進、大会で優勝したこともある実力者だ。そして何よりも、その熱い気持ちが我々を引きつける。さて、どんな講義が待っているのだろうか。開講の5月6日まで、楽しみや不安が入り混じる日々を過ごす。
ところで、今回の養成コースには4名の受講者が参加する、という旨、養成コース師範代のK先生から情報があった。当方以外には、どんな方がみえるのだろうか。それ程感心を持っていなかったのだが、うち一名は同じジムに通う方であるということが判明した。O氏としておこう。彼女はとても小さなかわいらしい方であり、結婚する前はさぞかしモテた(いや、今でもモテるだろう)ことだろうと容易に察しがつく。そんな方とご一緒できるとは、思わぬ幸運に恵まれた。そしてある日、オークラ氏から「管理人君、O氏に他の受講者を知っている。それは管理人だと公表してはどうか」、と助言をもらった。確かに、この先ご一緒するのだから、仲良く過ごしたいものだ、と指示された通りに実践してみる。結果はすこぶる良好で、「是非お願いしますぅ〜」と気さくにお願いされてしまった。なぁーんだ、独りでちょっと大丈夫かと考えていたのは当方だけではないのね。